ジョージアの歴史

ジョージアは、自国(ジョージア語)での国名はサカルトヴェロ (SAKARTVELO)です。
2015年4月22日以前は日本では「グルジア」と呼ばれていましたが、現在はその呼び名を「ジョージア」と変更されています。
黒海とカスピ海に挟まれた交通の要所に位置するグルジアは、つねに他民族から侵略を受け続けてきた歴史を持つ国でもあります。
紀元前、西グルジアにコルキス王国、東グルジアにイベリア王国が栄えていました。
隣国ローマ帝国やササン朝ペルシアの侵攻を受けながら、4世紀に世界で2番目のキリスト教国家になります。
その後も、隣国からの侵略に抵抗しながら、11世紀頃からグルジア統一が始まります。
12世紀には、タマル王の支配下、グルジアは現トルコ北東部、アルメニア、アゼルバイジャンの一部まで領土を広げ、グルジア最盛期を迎えます。
14世紀には、モンゴルの侵攻により国力が弱まり、グルジアは3つの王国と5つの公国に分裂。その後、オスマン帝国やサヴァヴィー王朝の属国になり、19世紀初頭には南下してきたロシア帝国によって併合。
1921年にはソビエト連邦の一部になり、ソビエト崩壊後、1991年に独立しています。


ジョージアの国民性

「メゴバリ」という言葉がジョージアにはあります。
訳せば「大切な親友」…といったニュアンスでしょうか。
ジョージアの人は、とても優しく、人を大事にします。
自分達の食べるものがなくても、人が困っていればそれすらも差し出すような優しさを持っています。
また、長い歴史上、様々な国から支配や攻撃を受けますが、その間も自国の言葉も守り続けて来ました。
また、他国の人間は、ジョージアの人々がワインをこよなく愛している事を知っています。
ですので、攻める時も、人ではなく葡萄畑を狙ったという説が残っています。
葡萄畑を壊滅すれば、ジョージアの人たちは生きる気力を失うだろう…と。
それくらい、ワインを愛する人達なのです。
男性はジェントルマンが多く、女性は美人が多いと言われています。
ジョージアを訪れる時は、その美人の多さに驚いてください。
主な民族はグルジア語系グルジア人で、紀元前からこの土地で暮らしている民族です。
宗教は主にキリスト教(グルジア正教)で、グルジアはアルメニアに次いで2番目にキリスト教を国教とした国です。グルジアという国名は、キリスト教の聖人「Georgius(ゲオルギウス)」に由来していると言われています。


ジョージアの場所

グルジアは、コーカサス地方と呼ばれる黒海とカスピ海に挟まれた地域にある国です。
面積は日本の1/5ほどの小さな国です。
東経40~47度、北緯41~44度に位置するジョージアは、黒海と大コーカサス山脈に囲まれた旧ソヴィエト連邦の独立国家です。
ジョージアの中部にはリヒ山脈を源としてリオニ川やクラ川などの主要な河川があります。
北側にロシア、南側にトルコ、アルメニア、アゼルバイジャンと隣接し、古来数多くの民族が行き交う主要な場所でした。


ジョージアの気候

日本の東北地方と同じくらいの緯度で、季節はほぼ日本と同じです。
コーカサス山脈を中心に国土の大部分が山岳地帯であるジョージアは、コーカサス山脈が総面積のほぼ30%を占めています。
それにより、ジョージアの地形と地質は複雑になっており、複雑な地形が影響し、国土面積の割には多様な土壌と気候を有しています。
このような背景から、ジョージアの葡萄栽培は温帯から亜熱帯まで幅があり、ときには雹が降ることもあります。